昭和44年10月27日  夜の御理解



  たいてい信心が出けておるようであっても、いよいよという時にうろたえたり、日頃の信心はどこへやらというような人がありますが、今日あの、久留米の、秋の御大祭を奉仕させて頂いて、後で吉備舞を、今度はあの佐田さんところののり子さんが舞いました、本当に何日間で良う覚えたと私は思うんですけれども、本当に何日間の稽古で、良うあれだけ覚えたもんだと思わして頂いたんですが、「今日の舞いはとても良かったよ」っち言うてから話ておりましたら、その田中さんが、あの「のり子さんでもあの、のり子さんでも、本番に強いとですよ」という、いうことばを聞いたんですけどね、本番に強いということですよね、普通の時には「こんなことじゃ、舞台の舞いは舞えん」と、言うようであっても、本番の時に良く出来るという、本番の時にその、強いという、で本番に強い信心にならなければ信心の値打ちがないと、ね、どんなにでけておるようであっても本番に弱い人がある、結局私は思うのに、え~この、いよいよ本番という時にです、日頃信心のおかげで、おかげでそれですんだとか、失敗せんですんだとか、というようなそういうそれが力になるのです、それが神様をいよいよ信ずる力になるのです、いくらお参りしとってもいくらお話しを頂いておっても、ね、いよいよ本番という時に、もう信心でもなからなければ、言わばいつも失敗にしだらけでは、神様をそこにはっきり見る事が出来ん、はっきり分かることが出来ん、だからいつまでたっても確信的な生活が出来んのである、だから本番そのものが、私は信心の力を売るとっ、売る時なのだから、ね、ですからそこんところを一つ、まあ一つ本番に強い信心をさしてもらうと、結局私はその一晩一晩がです、一日一日が、真剣に信心の稽古をしておる、よると、お~、でない者の違い、いかにも信心が出けておる、丁度ウサギと亀のように、の競争のように、出来ると自信しておるけれども、ね、所々に怠けておるから、いよいよん時に負けなければならない、ね、やはり思わず絶えまずという信心、例えば稽古が積まれておる、日々が、例えば本番といったような気持ちで絶えまず信心の稽古をしておる者は、やはりいよいよん時に強い、その強いとそれがおかげになる、それが力になるのだから、本当言うたら大事な事なんですよね。
  どうぞ本番に強い信心を頂きたいと思うね。
                                                                         どうぞ。




入力者:誠輝